僕たちは、自分が思っている以上に、あらゆるものから影響を受けている。
見るもの。
聞くもの。
触れるもの。
においや、味。
五感を通して入ってくるものすべてが、少しずつ自分を変えていく。
誰と話したか。
どんな音楽を聴いたか。
どんな言葉を読んだか。
どんな部屋で過ごしたか。
何を食べたか。
どんな景色を見たか。
たった一度の出来事で人生が変わることもあるけれど、多くの場合、人間はもっと静かに変化していく。
気づかないほど小さな影響が積み重なり、考え方が変わり、気分が変わり、行動が変わる。
そして、その積み重ねがいつか「自分」と呼ばれるものになる。
だから僕は、「他人や環境に影響されない人間になる」という考え方に、あまり意味を感じていない。
人間である以上、影響は受ける。
広告を見れば影響を受ける。
SNSを見れば影響を受ける。
誰かの言葉に傷つくこともあれば、救われることもある。
天気ひとつで気分が変わる日だってある。
それを完全にコントロールすることはできない。
むしろ、「自分は何にも影響されない」と思っている人ほど、自分が受けている影響に気づいていないのではないだろうか。
大切なのは、影響を受けないことではない。
どこに向かうのかを決めておくことだ。
海に浮かぶ船は、風を止めることはできない。波を消すこともできない。けれど、目的地を決めることはできる。
僕にとって、習慣やルーティンはそのためにある。
朝に何をするのか。何を読むのか。何を食べるのか。誰と会うのか。どんな音楽を聴くのか。身体をどう動かすのか。一日の終わりに何を考えるのか。
それらは単なる自己管理ではない。
外の世界から無数の影響を受け続ける自分を、定期的に元の方向へ戻すための「チューニング」だ。
楽器が演奏するたびに少しずつ音程を失うように、人間も日々少しずつずれていく。
疲れていれば悲観的になる。SNSを見続ければ比較が増える。刺激の強いものばかり見ていれば、静かなものでは満足できなくなる。
だから、何度でも調律する。
運動をする。文章を書く。散歩をする。本を読む。眠る。一人になる。大切な人と話す。
自分を望む方向へ戻す方法を、自分なりにいくつか持っておく。それが僕の考える「自分を保つ」ということだ。
ただ、人間が影響を受ける存在であることは、弱さだけを意味するわけではない。むしろ、そこから思いやりが生まれる。
言葉が人を傷つけるのは、人間に感受性があるからだ。同時に、言葉が人を救えるのも、人間に感受性があるからだ。
音楽で涙を流すことができる。誰かの優しさを何年も覚えていることができる。映画を一本観ただけで、生き方が変わることもある。
僕たちは影響を受ける。
だからこそ、この世界には責任がある。
自分の言葉が誰かに残るかもしれない。自分の態度が誰かの一日を変えるかもしれない。自分が作ったものが、会ったこともない人の人生に入り込むかもしれない。
それは恐れるべきことではない。ただ、忘れてはいけないことなのだ。
僕は、影響を受けることを否定しない。強くなって、何にも動かされない人間になろうとも思わない。
むしろ、影響を受ける自分を前提に生きる。
そのうえで、何に触れるのかを少しだけ選ぶ。どこへ向かいたいのかを決める。そして、ずれたら何度でも戻る。
完全に自分をコントロールすることはできない。世界をコントロールすることもできない。
だからこそ、自分なりのチューニング方法を持っておく。
それくらいが、人間にはちょうどいいのかもしれない。