「人と比べるな」とよく言われる。でも僕は、気づくと比べている。
SNSを開けば、同い年の誰かが起業していて、誰かが旅をしていて、誰かが毎朝走っている。閉じたあと、少しだけ自分が小さくなった気がする。
比べるのをやめられたら、楽になるのだろうか。そもそも、やめることはできるのだろうか。
比べるのは、ものさしがないから
心理学者のフェスティンガーは、1954年に「社会的比較理論」を提唱した [1]。人は、自分の能力や意見を正しく知りたいと思っている。でも、はっきりした基準がないとき、人は他人と比べることで、自分の位置を確かめようとする、という考え方だ。
たとえば、100メートルを何秒で走れれば速いのかは、記録の基準があれば分かる。でも、「自分の文章はうまいのか」「自分の働き方は正しいのか」には、決まったものさしがない。だから、周りの人を見る。
そう考えると、比べることは、悪い癖というより、人が自分を知るためのしくみに近い。やめようとしてもやめられないのは、意志が弱いからではないのかもしれない。
比べることをやめられないなら、
何と、どう比べればいいのか。
SNSは、上ばかりが見える場所
比べること自体が自然だとしても、比べる相手によって、気分は変わる。自分より上の人と比べることを「上方比較」という。
大学生を対象にした研究では、Facebookをよく使う人ほど自尊心が低い傾向があり、その関係は、SNS上で自分より恵まれた人と比べる機会が多いことで説明された [2]。
SNSに並ぶのは、多くの場合、その人の一番いい瞬間だ。こちらは自分の毎日の全部を知っていて、向こうは切り取られたハイライトだけが見える。比べる前から、勝負の条件がそろっていない。
ただし、SNSが一律に悪いわけでもない。研究をまとめたレビューでは、投稿を眺めるだけの「受け身の使い方」は幸福感の低さと関係しやすい一方、人とやりとりする「能動的な使い方」は、つながりの感覚を通して幸福感を高めることもあるとされている [3]。問題は、SNSそのものより、眺めて比べるだけの使い方なのかもしれない。
やめるのではなく、相手を選ぶ
比べることを消せないなら、僕は比べる相手を選び直したいと思う。
- 昨日の自分と比べる:同じものさしで、同じ条件の相手と比べられる
- なりたい自分と比べる:「あなたはどんな人間になりたいですか?」で書いたように、先に決めた自分の像が、ものさしになる
- 人と比べるなら、やり方を知るために比べる:「あの人はすごい」で終わらせず、「何をしているのか」を見る
上の人を見て落ち込むのも、上の人を見てやり方を学ぶのも、同じ「比較」だ。違うのは、比べたあとに何をするかだ。
比較は消せない。でも、優先順位は下げられる
「嫌われることを『気にしなくなる』のではない。優先順位が下がるだけだ」では、他人の評価は消えないけれど、もっと大事な目的があれば後ろに下がる、と書いた。
比較も、たぶん同じだ。比べる気持ちは消えない。でも、自分が向かっている場所がはっきりしていれば、他人との差は、気にする順番が下がっていく。
人と比べるのは、やめなくていい。
比べる相手と、比べたあとにすることを、自分で選べばいい。
見るべきなのは、他人のハイライトではなく、自分が向かっている方向だ。
参考
1. Festinger L. (1954). A theory of social comparison processes. Human Relations, 7(2), 117–140.
2. Vogel EA, Rose JP, Roberts LR, Eckles K. (2014). Social comparison, social media, and self-esteem. Psychology of Popular Media Culture, 3(4), 206–222.
3. Verduyn P, Ybarra O, Résibois M, Jonides J, Kross E. (2017). Do social network sites enhance or undermine subjective well-being? A critical review. Social Issues and Policy Review, 11(1), 274–302.