もう一度、
この人生を生きたいか。
この
ニーチェの「永劫回帰」で、今日を選び直す
全文は約15分。ここで読めるのは冒頭の約3分(目安)
毎日それなりにやっている。仕事もしている。休日もある。なのに、ふとした瞬間に思う。
「で、これ、何のためにやってるんだっけ」
大きな不幸があるわけではない。ただ、全部が少しずつ虚しい。頑張る理由が見つからないまま、日々だけが過ぎていく。
この感覚を、130年以上前に考え抜いた哲学者がいる。フリードリヒ・ニーチェだ。
「神は死んだ」のあとに残ったもの
ニーチェのいちばん有名な言葉は「神は死んだ」だ(『悦ばしき知識』第125節)。
かつてのヨーロッパでは、神と教会が「何のために生きるのか」を教えてくれていた。善く生きれば救われる。苦しみにも意味がある。その大きな物語が、近代に入って力を失った。ニーチェが指摘したのは、このことだ。
物語が消えると、人は「生きる理由」を失う。ニーチェはこの状態をニヒリズムと呼んだ。最高の価値が、その価値を失うこと。
冒頭の「何のためにやってるんだっけ」は、このニヒリズムの小さな症状だ。弱いからそう感じるのではない。価値の土台がもともと空っぽな時代を生きているからだ。ニーチェなら、そう言うだろう。
ニーチェが恐れた「末人」
では、土台が空っぽになった人間はどうなるのか。
『ツァラトゥストラはこう語った』(1883〜85年)の序説で、ニーチェはいちばん軽蔑すべき人間の姿を描いた。末人(まつじん)だ。
末人は、もう何も目指さない。大きな憧れも、危険も避ける。ほどほどに働き、ほどほどに楽しみ、みんなと同じであることに安心する。そして、まばたきをしながら「われわれは幸福を発明した」と言う(序説第5節、要約)。
この描写が怖いのは、それがある意味では快適な生き方だからだ。虚しさを感じないように、刺激とほどほどの娯楽で毎日を埋めていく。スマホを開けば、それはいくらでもできる。
ニーチェは、そこに人間の終わりを見た。
では、どうすれば末人にならずにすむのか。ニーチェが用意した答えは、ひとつの思考実験だった。彼自身が「最大の重し」と呼んだ問いだ。
ここから先では、次のことを書いている。
- ニーチェ最大の思考実験「永劫回帰」とは何か
- なぜこの問いが、虚しさをひっくり返すのか
- 運命愛(アモール・ファティ):起きたことを「そう望んだ」と言う技術
- 駱駝・獅子・子ども:自分の価値をつくるまでの三段階
- 今日からできる、5つの小さな実践
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続き:最大の重し:永劫回帰/なぜ、この問いが虚しさを壊すのか/運命愛:「そう望んだのだ」と言う/駱駝・獅子・子ども/今日からできること/おわりに
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