2026.09.30 / BODY

筋トレを減らしたら、
なぜか「体力」がついた

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目次

以前の僕は、週3回ジムで数時間、がっつり筋トレをしていた。

今は隔週くらいで登山に行き、週4回、15分程度の自重トレーニングをしている。どう考えても、昔の方が「鍛えていた」。扱う重量も大きかったし、トレーニング時間も長かった。

それなのに不思議なことに、日常生活で疲れにくいのは圧倒的に今だ。

長く歩いても平気になった。外出した後にも余力がある。以前より「もう疲れたから動きたくない」と感じることが減った。

そこで疑問に思った。そもそも僕たちが言っている「体力」って何なんだろう。

体力=筋力ではない

「体力をつけるために筋トレする」という言葉はよく聞く。もちろん間違いではない。筋力が上がれば、荷物を持ったり、階段を上ったりするのは楽になる。

でも、ベンチプレスが80kgから100kgになったからといって、一日中歩いても疲れなくなるとは限らない。逆に、毎日よく歩いている人が重いバーベルを持てるとも限らない。

どうやら「体力」という一つの言葉の中に、筋力、心肺能力、筋持久力、回復、睡眠、疲労、普段の活動量など、いろいろなものが混ざっている。

もしかすると、体力とは「余力」なのかもしれない

今のところ僕が一番しっくり来ているのは、体力=余力という考え方だ。

どれだけ大きな力を出せるかではなく、普通に一日生活した後、どれだけエネルギーが残っているか。

例えば同じ階段でも、身体能力の60%を使って上る人と、30%で上れる人では疲れ方が違う。同じ一万歩でも、それが身体にとって大仕事なのか、軽い活動なのかで意味が変わる。

そう考えると、体力がつくとは、日常生活そのものを「軽い運動」に変えていくことなのかもしれない。

だから今の方が疲れない?

ここからはまだ僕自身の仮説だ。

昔は筋肉を大きくするために、かなり強い筋トレをしていた。身体能力は上がっていたと思う。でも同時に、筋肉痛になり、脚が重くなり、トレーニング後は休みたくなり、日常で動く量が減ることもあった。

今は逆だ。15分くらい身体を動かす。普段も歩く。たまに何時間も山を歩く。そして翌日の生活を潰すほど疲れない。

つまり以前は、「身体能力を大きくする運動」をしていた。今は、「生活を楽にする運動」に近づいているのかもしれない。

筋肉をつけることと、元気になることは同じではない

これは筋トレを否定したいわけではない。僕自身、筋肥大を狙ったトレーニングは好きだ。身体を大きくしたい。腹筋を割りたい。美しい身体を作りたい。それはそれで一つの目的だと思う。

ただ、「身体を美しくする」ことと「一日を疲れずに過ごせる身体を作る」ことは、一度分けて考えてもいいのではないか。目的が違えば、運動の設計も変わる。

体力について、もう少し考えてみたい

今のところ僕の仮説はこうだ。

体力とは、限界の高さではなく、日常と限界の間にある余白なのではないか。

だとしたら、歩くこと、心肺能力、筋力、睡眠、疲労、回復、登山、食事。これらを全部「余力を作る」という視点から見直せる。

僕自身、まだ答えは出ていない。だから、これから一つずつ調べてみようと思う。

どうすれば、一日を終えたときにまだ何かできる身体を作れるのか。

その問いから、「体力」について考えていきたい。