上司の機嫌。明日の天気。昔の失敗。他人が自分をどう思っているか。僕たちは、自分では動かせないことに、驚くほど長い時間を使って悩んでいる。
古代ギリシャとローマには、「ストア派」と呼ばれる哲学者たちがいた。彼らの考え方は、抽象的な理論というより、毎日をどう生きるかの技術に近い。その出発点は、とても単純な一本の線だった。
自分次第のことと、そうでないこと
エピクテトスは、奴隷の身分から哲学者になった人物だ。彼の教えを弟子のアリアノスがまとめた『提要(エンケイリディオン)』は、次のような意味の言葉で始まる [1]。
物事には、自分次第のものと、そうでないものがある。
自分次第なのは、判断、何を求めるか、何を避けるか。つまり、自分の心の働きだ。自分次第でないのは、体、財産、評判、地位。つまり、自分の行いではないものだ [1]。
評判が「自分次第ではない」側に入っているのが、僕には面白い。他人がどう思うかは、どれだけ努力しても、最後は相手が決める。自分にできるのは、自分の行いを整えるところまでだ。
人を悩ませるのは、出来事ではなく「判断」
『提要』には、もう一つよく知られた一節がある。僕なりに訳すと、こうなる [1]。
人を乱すのは、物事そのものではなく、物事についての判断だ。
エピクテトスは、死を例に出している。死が本当に恐ろしいものなら、ソクラテスにもそう見えたはずだ。恐ろしいのは、「死は恐ろしい」という私たちの判断のほうだ、と。
会議で発言がスルーされた。それ自体は、ただの出来事だ。そこに「軽く見られた」「自分は無能だ」という判断が乗ったとき、出来事は痛みに変わる。
これは、「恐怖の正体は『危険』ではなく『不快感』かもしれない」で書いたことにも近い。感じていることと、実際に起きていることを、いったん分けて見る。
皇帝が、自分に宛てて書いたノート
ストア派の言葉を残したのは、元奴隷だけではない。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』は、彼が自分自身のために、ギリシャ語で書いたノートだ。原題は「自分自身へ」という意味で、出版するつもりはなかったと考えられている。遠征の陣中で書かれた部分も多いとされる [2]。
世界で最も力のある立場にいた人が、他人に説くためではなく、自分を立て直すために書いていた。皇帝にも、変えられないことは山ほどあったのだと思う。
人生は短いのではなく、使い方の問題
同じローマのセネカは、『人生の短さについて』でこう書いている。僕なりに訳すと、「人生は、使い方を知っていれば長い」 [3]。
セネカによれば、人生が短く感じるのは、時間が足りないからではない。自分では変えられないことへの心配や、他人のための見栄に、時間を流してしまうからだ。
エピクテトスの線をここに当てはめると、こうなる。自分次第でないことに使った時間は、取り戻せない。
2000年後の心理療法に残っているもの
この考え方は、古典の中だけで終わらなかった。心理療法家のアルバート・エリスは、のちの認知行動療法の源流の一つになる「論理療法(REBT)」をつくった。彼はエピクテトスの「人を乱すのは物事ではなく判断だ」という言葉を、たびたび引用している [4]。
出来事そのものではなく、それをどう受け止めているかを見直す。2000年前の哲学が、いまも心の扱い方の土台に残っている。
紙に、線を一本引いてみる
僕がやってみているのは、とても単純なことだ。今の悩みを書き出して、紙の真ん中に線を引く。
- 左側(自分次第):自分の準備、言い方、今日やること、どう受け止めるか
- 右側(自分次第ではない):相手の反応、評価、結果、過去
右側のことは、考えるのをやめなくてもいい。でも、そこで長く立ち止まらない。左側にあることだけを、今日の行動にする。
変えられないことを、変えようとしなくていい。
変えられることに、自分の時間を使えばいい。
悩みの線を一本引くだけで、今日やることは、少しはっきりする。
参考
1. Epictetus. Enchiridion(『提要』), 1, 5. アリアノス編。邦訳はエピクテトス『人生談義 下』國方栄二訳、岩波文庫、2022年に『要録』として収録。
2. Marcus Aurelius. Meditations(Ta eis heauton『自省録』). 2世紀後半。
3. Seneca. De Brevitate Vitae(『人生の短さについて』). 1世紀。
4. Still A, Dryden W. (2012). The Historical and Philosophical Context of Rational Psychotherapy: The Legacy of Epictetus. London: Karnac Books.